スリランカ、インドを訪問して
1、スリランカ訪問

 2002年5月、連休を利用してスリランカ、インドを訪問した。 第二次世界大戦終了後、植民地だったアジアの諸国が独立し、日本と外交関係を樹立した。それから50年、今年がスリランカ、インド両国とも国交樹立50周年にあたり、それぞれ記念式典が開かれた。

 私たちの訪問団はスリランカの記念式典に出席し、日本・スリランカ友好議員連盟会長の野呂田芳成衆院議員が総理特使として団長をつとめた。

 スリランカ、インド訪問は4月27日から5月5日の日程で行なわれたが、私は公務の都合で4月29日から参加し、スリランカには一泊のみの滞在であった。しかし、スリランカの女性大統領クマーラトゥンガ大統領と会談し、更に昼食時には海外青年協力隊々員や経済交流で同国に滞在している多くの日本の人々と会うことができた。

 スリランカとは「光の国」という意味だそうだ。旧国名はセイロンで、紅茶と宝石で有名だ。現在のクマーラトゥンガ大統領は、セイロン時代の女性首相バンダラナイケ首相のお嬢さんである。

 スリランカでは多くの日本人が国づくりのために活躍していることに感動した。看護師さんは公衆衛生の向上に、コンピューターの先生はコンピューター教育で協力し、さらに柔道の先生もいた。とりわけ女性の活躍が目についた。

 日本も明治時代に近代化を目指し多くの外国人にお世話になったように、これから国づくりを目指す国々への、これらの協力は非常に意義深いものであることを実感した。

 朝早く起きて、ホテルの周りを一周してみた。朝の通勤ラッシュで車やオートバイがひっきりなしに通 っている。


 私は道路を横断するため右をみて、左をみて、駆け足で命がけで渡るが、スリランカの人々は車が走っているにもかかわらず、平気でタイミングを見計らいながら横断している。これはインドでも同じであったが、彼らには交通 ルールはあっても、あくまで自己責任で行動していることなのかと考えざるを得なかった。

 スリランカでは、道路のわきに、日本で言えばお地蔵さんのように、いたる所に大きな仏像やキリストの像があり、夜は、ライトアップされていた。また、仏教国であるため殺生は許されないとされており、蚊とり線香も蚊を殺さず、刺せなくするだけだと聞いた。

 スリランカは内戦が長らく続いており、私たちの訪問のつい1カ月前に停戦合意がなされ、以前より街は活気がでてきたと教えられた。

 滞在わずか24時間のスリランカだったが、若い日本人が真剣にスリランカの国づくりに協力し、汗を流している姿に満足しながら次の訪問国インドへと向かった。

2、インド訪問
 インドでは平林博駐印大使から「これからの日印関係」と題して説明を受け、日本とインドにかかわる大きなテーマとして5つの課題が示された。

 まず第一に、戦略的な安全保障としての協力関係の維持である。

 すなわち、日本とインドは協力して中国に対しての戦略的な取り組みを図っていかねばならないし、特に経済面 での進出に対して協力関係を保っていこうということである。


インド政府国防大臣
ジョージ・フェルナンデス閣下
表敬訪問

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 野呂田団長は挨拶のなかでテニスの例をとりあげ、インドと日本が協力すれば世界一になることができる、と語った。

 テニスの全米オープン混合ダブルスでインドのマヘッシュ・ブバシ選手と日本の杉山愛選手のコンビが世界一になったことを指してのことだ。

 そのうえで世界一のハードウェアを持つ日本と、世界一のソフトウェアを有するインドが手を組めば、どちらも世界一のIT国家になれるとの挨拶だ。巧みな例えだなと感 心した次第である。

 平林大使はシーレーン確保の問題もとり上げた。ホルムズ海峡は日本の原油確保にとっては生命線と言われている。この我が国にとって生命線であるホルムズ海峡を守れるのは、米海軍とインド海軍だけである。私たち日本人はそこまで理解し感謝をしながら日々の生活をおくっているかとなると、いささか自信がない。金を払っているから、あたりまえだとの意識で暮らしているのではないだろうか。国際情勢をもっと多くの国民が理解し関心を持たなくてはならないと思った。

 第2の課題は、投資と貿易である。

 インドから貿易相手国としての日本は6位、日本からみるとインドは26番目となり、貿易格差がみられる。平林大使は、28州からなるインドではあるが、それぞれ州によって大きく異なり、単にインドというひと括りのイメージで投資してはいけない、どの州のどの町が投資目的に最適かを良く判断して実行すべきだと指摘された。

 第3番目の課題は民主主義という大きなテーマである。

インドは民主主義が発達しており国会の議論は活発である。私たちが訪問したその日も、グジャラート州で起きた列車襲撃事件で50数人が焼死した件をとりあげ、16時間も下院で議論が続いていた。そのため、バジパイ首相と私たちとの会談は残念ながら 実現できなかった。

 第4番目としてインドの精神性の深さを大使はあげられた。 物質万能の世の中にあって、この価値観を乗り越えるには、深い精神的思策が必要である。インドはヒンズー教や仏教、イスラム教とそれぞれの人々が自分の信ずる宗教に従って生活している。日本も精神性の深さにおいてはインドにひけをとらないと思っているが、物質万能のマイナス面 を日本とインドの精神性の深さで克服せねばなら ない。

 5番目はグローバルパートナーシップである。

 これはこれからの国際社会を生きぬくためには、当然のことであり、世界平和の実現のためには相互に相手の国情をより深く理解し、認め合う精神が肝要だと思う。

 3日間、インドの国民の生活ぶりをバスに乗って、まさに目の高さで見ることができた。日本大使館関係者が「何でもありがインドです」と語っていたことが印象深い。

 ニューデリー到着後、ナラヤナン大統領を訪問した。大統領はカースト制度にも入れない最下層の出身である。外交官として日本に赴任したことがあり、現在スウェーデ ン大使であるお嬢さんは日本生まれだそうだ。厳しい身分制度があるにもかかわらず、最下層出身の人が大統領になれるインドは、民主主義がきちんと根づいている証拠だと思った。


タージマハル

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 国会議事堂を訪問した。

 議事堂は上院、下院、中央議事堂の3つの建物からなる。国会の開会は、上院、下院全議員が中央議事堂に集合し、大統領を招いて開会する。日本の国会にはない仕組みだ。

 フェルナンデス国防大臣と会談をした。大臣は若い時分、労働運動の闘士として鉄道組合でインド鉄道ストライキを指導した。大臣はまた野呂田団長と個人的に親しく、その夜も国防大臣主催の歓迎会を開いていただいた。大臣の息子さんが今年の7月に日本人女性と京都で野呂田先生のお仲人で結婚式をあげるとのことで、野呂田先生は そのために、インド人の服と靴をご用意された。

 つぎに、タージ・マハルのあるアグラ、そしてマハラジャ(“地方の王様”という意)の城のあるジャイプールを訪れた。

 日本のODAで整備された河川を浄化する施設を視察した。インドでは排水はすべて直接放流で河川の汚染はかなりすすんでいる。日本の援助で、公衆トイレの設置、下水処理施設の整備を行なうことによってBODが30ppmくらいにまで下がったと報告があった。

 30ppmというのは日本では「汚染水」という基準であるだけに驚いてしまった。これらの施設には日本のODAによる援助であることがわかるマークがついていたが、はっきりわが国の援助であることを示すためにも、きちんと日の丸を付けるべきだと思った。

 ヒンズー教では人が死ぬと火葬にし、その灰を河川に流す慣習がある。今までは、地上に遺体を安置してその回りにマキを置き火葬にしていたため、マキの使用量 は相当の量になったようだ。これを減らすために火葬の方法を工夫した人がいて、なんと日本の若者だった。仕組みは簡単で五徳(ごとく)の原理を応用し、遺体をその上にあげて、下の風通 しを良くしただけで、この方法だとマキの使用量を大幅に減らすこと ができた。しかし、灰は従来の慣習どおり河川に流されている。同じ河を浄化しようとする努力と矛盾すると思われるが、これがインドの現実だ。

 バスの車窓からインドの人々の生活を眺めてみると、路上生活で赤ちゃんを育てている若い女性から、マハラジャの子孫で裕福な暮らしをしている人々が同じ空間に一緒 にいることに驚かされる。

 国防大臣のレセプションで大臣秘書官と話す機会があったが、ヒンズー教は、創造、維持、破壊の3つの神があり、それぞれがさらに細かくわかれあわせて5000近くの神々がある多神教だ、と教えられた。

 ヒンズー教ではカースト制度が守られている。カースト制度がいやでキリスト教など他宗教に改宗している人もいるそうだ。輪廻転生の思想で現在の身分は前世の結果 であり、未来で高いカーストを実現するために現 在をヒンズーの教えの通りに生きる。貧しい人々にとってはあきらめの宗教、支配層にとってはまことに都合の良い宗教である。

 このため、貧しい人々のあいだでは、“一揆”などの反抗心が生まれない土壌となっている。

 仏教を始めたブッダは、カースト制度の否定のために仏教の教えを広めた。しかし、懐の深いヒンズー教は、仏教をヒンズー教の数多い神のなかの1つに取り込んでしまっている。

 キリスト教は、イエス・キリスト、イスラム教は、マホメット、仏教は釈迦、儒教は孔子と、それぞれ創始者がいるが、ヒンズー教は歴史が古く、創始者はわからない。まさに、日本の八百万(やおよろず)の神々に似ている。日本の神道も創始者などわからない。大昔は二つの宗教が結がっていたのかもしれないと想像力をたくましくし、ロマンを追い求めるのもおもしろいと思った。

 ネルーがインドを統一した頃は貧しい人々には電気代を無料にするといった社会主義 政策をとってきた。しかしその結果、約10年前に経済危機が生じ、その反省から自由主義経済に移行し、現在に至っている。

 街では牛がゆうゆうと、放し飼い。いのぶた、水牛、犬もすべて放し飼いで、街のゴ ミをあさっている。犬などやせこけていて、思わず日本の犬と比較し、わが国の飽食状態を痛感した。道路にはこれらの動物が入り込み、ラクダの荷車ものんびり走っている。


タージマハルで
同行の議員たちと

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デリーからアグラヘの途中
車内から

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 貨物自動車は、たぶんインドの国産自動車だと思われるが、スピードをあげて走っていた。車がどんどん流れている道路を、人々は何くわぬ 顔で横断している。私の乗っているバスもそうであったが、車はみなスピードをあげて走っている。そして、ドライバーは上手に牛、ラクダ、横断する人などに注意を払って運転している。日本では考えられない交通 マナーだが、これは、インドの人々と日本人との敏捷性の比較ということでみると、はるかにインド人の方が能力は高いようだ。これは生物としての生存能力は高いということではないだろうか。

良いか悪いかは別 として自分の行動は自分で責任をとる。自立、自己責任をとる考えは、インドの人の方が優れていると思った。きわめつけは、私たちの乗ったバスが高速道路を逆走したことだ。4車線の反対側車線に面 ているレストランへ行く時にそれは起った。しかも、100メートル程度などというものではなく、何分も逆走しているのである。それなりに、ルールはあるようだったが、まさにびっくりであった。

 大使館関係者から聞かされていた「なんでもありがインド」です、との言葉を思い出 した。それにしても自分の力でたくましく生きている、と感心させられたものだ。

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